オーストラリアで写真家・CMディレクターとして活躍、D科1988年卒の小野一秋さん

[本田圭佑選手]

「こうげい」181号にオーストラリアで写真家・CMディレクターとして活躍するD科1988年卒の小野一秋さんから寄稿頂きました。小野さんは日本で写真家として活動した後、オーストラリアに活動の拠点を移し現在は写真家・CMディレクターとして活躍されております。以下寄稿文を掲載させて頂きます。


 
工芸高校の卒業式を終えた後も、やり残した課題を終えるため、水道橋へ通っていたのが懐かしい。当時問題児として先生方にご迷惑をお掛けしたことを、今は素直に申し訳なかったと思います。
その後僕は、写真家としての道を歩み、現在は南半球のシドニーにて、フォトグラファー/映像ディレクターとして、ジャンルを問わず活動しています。

拠点を海外へ移した細かい理由はさておき、大きくは仕事のためというよりライフスタイルが性に合うから、といったところです。日本在住時にはクルマ・バイクの専門家として、広告と雑誌などを撮っていましたが、オーストラリアへ移住してからというもの、ジャンルの垣根はなくなり、海外クライアントのプロジェクトに関わり、シドニーへ住みながら、時には日本や、その他の国へ飛んで行って撮影をするスタイルです。

また、長年写真と映像に対して、自分にしかできないこだわりを持って取り組んできたことによって、想像もしなかった方面から依頼を受けることが増えました。2018年~2019年のサッカーシーズン、本田圭佑選手がメルボルンのチームと契約を交わした際、彼からダイレクトで専属カメラマンとしての依頼がありました。多くのカメラマン候補の中から彼が僕を選んだ理由としては「この人なら格好良いものを撮ってくれる、そう思ったんです」という言葉でした。ひとりの写真家として、こう言われて引き下がる理由はなく、それから試合時も食事もトレーニングもプライベートをもひたすら撮り続けたものです。彼のブランディングのサポートをするという意味で、広告屋である僕のキャリアが生きたカタチです。

記憶に新しいコロナ禍の期間、失った仕事も多々ありましたが、その状況下で必要とされた仕事が、僕にとって新たな経験をもたらしてくれることになります。その一つが、日本航空(JAL)が50年前から出版を続けているカレンダーの撮影で、僕はオーストラリアとニュージーランドを担当することになり、2022年版と2023年版の紙面を飾りました。デジタル化し、全てのスピード感が変化した近年、この撮影ではたった一枚の写真に全身全霊を傾ける、初心に帰る様な、新鮮なプレッシャーで洗われるような体験でした。

[JAL2023年カレンダー]

もう一つ忘れられない仕事があります。2020年12月、この時もコロナ禍でロックダウンをしている都市が多かった時期ですが、日本のJAXAが打ち上げた「はやぶさ2」カプセル回収プロジェクトがサウスオーストラリアで行われた際、写真と映像による全ての記録撮影を包括する立場として現場に入りました。報道対応も含めて臨機応変に撮れるものを全て撮らなくてはいけない、そういう現場です。「星のかけらを取りに行く」という夢とロマンと、そして最先端の技術の一端を目の当たりにし、涙が流れるほどの感動に身も心も震えた撮影でした。
自分の信じる道を続けることで、必ず何かが巡り巡って帰ってくる。そんな体験が自身を今も成長させてくれています。

※この寄稿文は「こうげい」181号(2023年春号)にも掲載されております