連載-8 もっと知りたい都立工芸の歩み

復興の新校舎で熱を込めた授業 復活運動会が各科シンボルカラーの始まり

関東大震災で築地の工芸学校校舎も全焼した。1925年(大正14)8月末、築地の仮校舎から水道橋の仮校舎に移転が始まる。1926年(大正15)8月15日新校舎本建築の工事が始まり1927年(昭和2年)8月31日に竣工した。新校舎は耐震耐火の鉄筋コンクリート3階建て、中庭はテニスコートを兼ね、朝礼も行われた。

復興の明るい気運

創立20周年と新校舎竣工とが重なり、これまでの苦労を一気に吹き飛ばすかのように学校に明るさが戻ってきた。設備も整った中、すべての科目において先生の意気込みは熱が入ったものとなり、生徒も希望に燃えた。
近藤校長の発議で1927年(昭和2)末には新校舎完成記念にグランドピアノが講堂に据えれられた。翌年、近藤校長は桜蔭女学校の浅野千鶴子先生(後に東京藝術大学声楽科教授)に依頼して、当時は男子中等学校の教科外だった音楽教育を実践された。桜蔭女学校とはこのころ盛んに交流があった。1928年(昭和3)3月に落成記念展覧会が開催され、展示と即売が盛大に行われ世間の工芸学校に対する認識が増した。

復活運動会で各科にシンボルカラーが出現

新校舎での生活に落ち着きと張りが出てくると、生徒の間では校友会の競技部の活動が活発となった。おのずと運動会をやりたいという気運が高まり、ついに1929年(昭和4)11月3日陸軍戸山学校のグランドで復活の第1回陸上運動会が開催された。陸上競技は各科対抗で第1回優勝は木材工芸科であった。この復活運動会ではA科(金属工芸)が白(後に緑に変更)、F科(木材工芸)が赤、M科(精密機械)が紫、 P科(製版印刷)が黄と各科のシンボルカラーが決まり、旗をつくり、屋上で応援歌を練習した。1949年(昭和24)に誕生したD科(図案)は、青春を意味するコバルトブルーを選択した。


※このコラムは「都立工芸100年の歩み」から文章を引用して再構成しています。