第60回 関西工芸会の集いを開催しました
2023年11月25日、京都駅前にある都ホテル内の和食屋『うおまん』にて2019年の開催以来4年ぶりとなる《関西工芸会の集い》を開催する事ができました。
関西工芸会は工芸高校全日・定時制卒業者で関西に移住されている方達からなる同窓会組織で、現在は名古屋を拠点とした中京工芸会と関西工芸会があるのですが、50年以上前には日本全国に同窓会支部が存在しておりました。
関西工芸会に活動の記録が残る資料がなく事務局として受け継いだ『関西工芸会の集い』の開催記録の中に1回目が昭和36年(1961年)と記載されているのですが、それよりも前の昭和6年(1931年)に開催した記載があり、その年からと考えますと92年間もの間継承してきた伝統ある同窓会組織となります。
『工芸学校80年史』の228ページに「関西支部(関西工芸会)復活」という記事があり、その際の写真が掲載されておりましたのでこの度一緒に投稿させて頂きます。
昭和36年(1961)で62年前の歴史的な写真ですが、ここに映る大島さん(前列右から二人目)は私が26歳の時に初めて関西工芸会の集いに参加した際、前関西工芸会会長として親身にして下さり、その時に聞いたお話で…
「府立工藝時代は戦時下にあって工芸高校を卒業すると軍事工場に引き抜かれ、戦後50年以上経った今だから話せる」
「工藝卒業後、中国の偽札作りをする工場にいて、中国に大量に偽札をばら撒いてインフレを起こさせて混乱させる、これも戦争の攻撃の1つでした」
と。その体験の手記を出されていたり、竹槍で特訓したお話など戦争体験を語れる先輩が大島さん以外にもおり初めて聞く話に衝撃を受けました。
現在関西工芸会として把握している会員は59名おります。今もお元気な昭和19年卒業の大先輩から平成29年卒業の後輩まで、関西工芸会として把握してない関西在住者も沢山いらっしゃると思いますが幅広い年齢層の方が関西で活躍し、引退されている方は関西生活を楽しく過ごしております!
コロナ禍があった事で関西工芸会始まって以来の集いの中止が3年間続き、2019年11月から4年ぶりに元気な皆様と集う事が叶いました!
東京からは都立工芸同窓会梶会長と神山先生にお越し頂き、2次会から参加された1名を含め総勢18名が集まりました。昭和29年卒の先輩から平成29年卒の後輩まで、世代の垣根を越えて同窓という絆で結ばれ東京から離れた関西の地でも工芸時代の話しや現在の活躍を楽しく語らう場になりました。
私が16年前25歳の時に(関西に来て5年目)初めて参加してから関西で活躍される沢山の先輩達とお会いする中で、工芸の同窓じゃなかったら同じ席で話す事なんて出来ない大手企業の会長さん(その方こそ大島 前関西工芸会会長です)や、ものづくりのプロフェッショナルの先輩達との出会いがありました。単身関西に来て友人がゼロスタートだった中での関西工芸会では、関西では貴重な東京出身者のご縁や同窓という繋がりで共通の話題や知らなかった母校の歴史を聞ける事が、私にとって毎年参加する楽しみの一つとなりました。
10年程前から事務局として関西工芸会の運営を担わせて頂き、当初は関西工芸会の参加者が1桁が続いており私なりにSNSの活用や、知りうる工芸出身の友人の中で関西に移住した方の情報を集める中で、毎年参加者が増え20代の同窓生や女性の参加者も増えて会に活気が出てまいりました。
この度、この「こうげい」メールマガジンに梶会長から関西工芸会の記事を掲載したいと依頼を頂き感謝しております。メールマガジンを読まれている方の殆どが関西工芸会や中京工芸会の存在をご存知で無いと思いますが、卒業しても尚東京だけでなく遠く離れた関西の地でも先輩・同級生・後輩の繋がりがある事は私のジュエリー職人人生においても、とても大切な繋がりでものづくりの活力になっております!
これからも伝統ある関西工芸会が継続して活動していけるよう努めたいと思います。
関西に在住しているけど関西工芸会の案内が届いていない方は私が把握できていないので、お手数ですがメールマガジンのお問い合わせフォームから関西に住まわれている旨を伝えて頂けましたら、来年以降ご案内を送らさせて頂きます。
関西工芸会事務局 松田 健(2001年A卒)
同窓会ホームページ「お問い合わせ・投稿」→https://www.kogeiob.com/contact/