連載‐10 もっと知りたい都立工芸の歩み


水道橋校舎完成記念絵はがき

「新校舎は時代の先端をめざした」

 水道橋で仮校舎の授業が始まって1年経った1926年(大正15)8月15日、新校舎本建築の工事が始まった。既に東京市電は開通していて、水道橋はその交差点になっていた。後楽園球場はまだなく、隣の桜蔭学園(桜蔭高等女学校)は木造二階建だった。
 建築を担当するのは東京府営繕課(課長は鵜飼三郎)、設計は東京帝国大学工学部建築学科を2年前に卒業した新進気鋭の主任技師前田清風であった。近藤校長をはじめとした学校の首脳陣は慎重に研究し、営繕課との協議を重ねた。耐震耐火の鉄筋コンクリートの建築であることはもちろん、芸術的にも工学的にも時代の先端を行くものをめざしたのである。
 この年末12月25日大正天皇は崩御され、昭和へと改元された。元号をまたいだ1年をかけて1927年(昭和2)8月31日に新校舎は竣工した。落成記念の祝賀会は各界来賓、職員生徒の家族招待と3日間にわたって行われた。こうして9月中旬に始まった2学期、仮校舎での授業はようやく終わりとなった。



正面玄関前記念写真(昭和3年)

モダンな外見

 鉄製の正門は唐草で装飾されており、石造りの塀にも唐草がはめこまれていた。鉄筋コンクリート3階建て、中庭を囲むロの字の南側をコの字型のように突き出し、その両翼の間に松平邸にあった池が復元された。
 装飾を廃しすっきりとした外装は、3階まで並んだ窓の間の柱が垂直のリズムをつくっていた。生徒の通用口とは別に、約13坪の車寄せをもった正面玄関が作られ、その上はバルコニーとなっていた。玄関の正面には校章が王冠を載せ、唐草に囲まれたデザインとなってはめ込まれた。唐草は車寄せの左右の側壁にも施され。唐草模様は府立工芸を象徴するデザインだった。


次回の連載-11は「意匠が凝らされた校舎内部」

※このコラムは「工芸学校80年史」「都立工芸100年の歩み」から文章を引用して再構成しています。