令和6年能登半島地震・応援企画1 伝統工芸輪島塗の未来を照らす希望の光

2022年3月にアートクラフト科を卒業した富樫知優 (とがしちひろ)さんは、今年5月、石川県立輪島漆芸技術研修所をめでたくご卒業されました。ですが在学中の2024年元日、マグニチュード7.6を記録する能登半島地震が発生しました。富樫さんはその日、お正月休みで東京の実家に戻っていたため幸い直接被災することはありませんでしたが、この災害からどのような影響を受けているのか、現在のことや今後のことなどについてお話を伺いました。(集合写真、後列の一番左が富樫さん)

能登半島を襲った未曾有の震災、令和6年元日のこと

−−1月1日は何処でどのように過ごされていたのか教えてください。

富樫:お正月は東京の実家にいました。震災直後は、連絡先を知っている人にすぐに連絡しましたが、「大丈夫ですか?」と聞いても、(たとえ体が無事でも、大丈夫なはずはない)と思いとても心配でした。すぐに返信があったのは大家さんからで「津波がくるから逃げる」という内容でした。

※輪島は地盤が隆起したため、実際には津波の被害はほとんどありませんでした。

富樫:他の知人から安否確認の返信が来たのは数日経ってからです。在学中交流のあった方や、お世話になった方の中にも、お亡くなりになった方がいます。身近な人が亡くなったことが一番ショックです。

−−富樫さんは輪島で漆芸作家を目指していた時に災害にあわれましたが、将来のことが不安になりませんでしたか?

富樫:震災直後はお世話になった現地の方々が心配で、自分の将来どころではありませんでした。日に日に行方不明者や死亡者の人数も増え続け、知り合いともなかなか連絡がとれず、自分のことを考える余裕はありませんでした。

−−ご自身が現地にいなくても、大変なご心労があったんですね。少し話題を変えて、富樫さんがなぜ輪島塗を進路として選んだのか教えてください。

漆器で食べるごはんはおいしい

富樫:A科の卒業後の進路は大学かジュエリー系の専門学校への進学が多いのですが、私は伝統工芸が好きでした。インターネットで石川県立輪島漆芸技術研修所のことを知り、夏のオープンキャンパスに行きました。そこで見た、漆だからこそできる表現に惹かれて、ここで学びたいと思いました。

−−なぜ「漆」という素材に惹かれたのでしょう?

富樫:漆器で食事をする家庭で育ちました。漆器を手に持ったり、口に触れたりする触感は味覚にも影響すると思います。漆器で食べると味がまろやかになり、食べ物がよりおいしく感じられます。陶器や金属、プラスチックなど、器によって味が変わると思うんです。漆のようなさわり心地のものは、他に無いと思います。

−−とても繊細な感覚をお持ちですね。今度から私も意識してみます。日常で漆の食器を使っているとは、富樫さんのご家族は伝統工芸品が好きなんですね。

富樫:母が輪島出身なんです。祖父母は存命ではありませんが、輪島の人で、私も幼い頃に遊びに行きました。おいしいお魚や朝市の野菜を食べた思い出があります。輪島には高い建物がなく、空が近く感じます。千枚田に行くと海と田んぼを一望できます。私は空や海、山が好きなので、自然が豊かな輪島が好きです。

白米千枚田(震災前)

石川県立輪島漆芸技術研修所の学び

−−もともと輪島と深いつながりがあったんですね。研修所ではどんなことを学びましたか?

富樫:研修所では2年間、布着せ、下地つけ、中塗り、上塗りなど、日本の伝統的な漆芸の技術をしっかり学びます。1年の時は「丸盆」を作りました。「蒔絵」や「沈金」という加飾を施して仕上げます。

専修科1年終了作品 左から:朱塗丸盆、沈金丸盆「波に菊」、蒔絵丸盆「野茉莉」

−−「ちんきん」とは、どういうものですか?

富樫:「沈金」は輪島塗りの代表的な技法のひとつで、沈金刀で漆の塗膜を掘り、そこに漆を入れ、更に金粉を入れて仕上げます。作業をしているとあっという間に時間が経ってしまいます。一日中作り続けても疲れを感じないのは、工芸高校で、課題に取り組むことで身についたのかもしれません。

−−卒業制作の作品は、モダンで斬新なデザインがとても素敵ですね。この作品にはどのような思いが込められているのでしょうか。

富樫:私は風が強い日に外に散歩に行くのが好きです。そんな日に海へ行くと、輪島の海岸にはテトラポットがあって、そこに海風が反響して不思議な音が聞こえます。その音が魅力的に感じ、デザインを考えました。テトラポットは直線で、そこから広がる音は曲線で表現しました。

令和5年度 専修科2年卒業作品 乾漆蒔絵丸筥「懐古」(かんしつまきえまるばこ「かいこ」)
卒業作品展では「輪島の海でテトラポットが奏でる風の音を表現しました。震災でお世話になった皆様に心より感謝を込めて。」というキャプションが添えられた。

−−黒や赤の漆ではないのですね。

富樫:透明感のある透漆(すきうるし)です。茶色っぽい朱合漆(しゅあいうるし)を黄色っぽい梨子地漆(なしじうるし)で割り(混ぜて)、上からかけています。黒の漆とは異なり、金が透漆から透けて見えています。自分の好きな色になったところで研ぐのをやめてしまったのですが、完成後、先生から「もっと研いで金を光らせた方がいい」とのアドバイスをいただきました。今思えばそこが反省点です。

※「朱合漆」は輪島特有の呼び方で、他の地域では「木地呂漆(きじろうるし)」とも言う。

−−まるで日本伝統工芸展に出展されている作品のようです。ベテランの作家がつくった作品と並べて置いてあったとしても、私にはこれが卒業制作だとは気づかないでしょう。

富樫:ありがとうございます。私は伝統工芸が好きで、大学ではなく研修所を選びました。これからは、きゅう漆の鎌田克慈(かまたかつじ)先生に教えていただき、輪島で修行を続けます。住むところも決まり、今年の秋には輪島に戻ります。

−−ニュースで輪島道路もようやく全線開通したと聞きました。これからは復興も進みそうですね。

富樫:研修所では水道は復旧しましたが(2024年6月現在)、震災後、3ヶ月以上も水が使えませんでした。水が無ければ漆芸はできません。上塗り前に漆器を洗ったり、道具を研いだり、必ず水を使います。漆器作りは、埃があるとできないので掃除は欠かせません。掃除ができなくては仕事もできません。

−−研修所は秋からの再開を目指している、という報道がありました。

富樫:再開は10月〜12月を予定しているそうです。研修所の周りの地面は大きく割れて、地面が浮き上がっています。建物と地面の間には大きな亀裂が入り、溝ができていました。敷地内の駐車場に仮設の寄宿舎を建て、研修生はそこに住むことになるそうです。

−−深刻な状況はしばらく続きそうですね。

富樫:輪島市内はまだ信号が傾いていたり、土砂崩れのように建物が倒れて道が塞がっているところもあります。地面が大きくへこんでいたり、隆起していたり、普段通りの道がほぼない状態です。川の水がなくなっていることは衝撃的でした。漆芸に関わる方の中には、輪島から金沢や他の地に拠点を移さざるを得ない方も多くいます。特に年配の方々は、今から大きなローンを組んで再出発をすることは困難で、廃業せざるを得ない方もいるそうです。ですが、輪島キリモトの七代目、桐本泰一さんは「俺の周りに辞めると言っているやつは一人もいない!」とおっしゃっていました。とにかく今は、やる気のある人たちが輪島に残っている、集まってくる。今回の事をきっかけに、輪島はこれからすごい所になるかもしれません。

−−とても力強い言葉ですね。これからの輪島塗へ期待が高まりました。具体的なことは何も出来なくても、応援していきたいと思います。最後に工芸高校での思い出をお話しください。

富樫:なによりクラスメートや先生と出会えたことが一番良かったです。いろんな人がいますが苦手な人は一人もいませんでした。クラスメートは委員長だった私をいつも助けてくれました。卒業後もご飯を一緒に食べに行ったり、とても仲良くしています。震災が起きた後は、(多くの人が輪島から離れてしまう)と思っていたのに、「いつか輪島に遊びに行きたい」と言ってくれる人もいて、嬉しかったです。先生方も工芸に取り組む厳しさや楽しさを教えてくださり、親身になって指導してくださいました。研修所に入っても、工芸高校で学んだことが活かされました。工芸高校に入れて本当に良かったと思います。

富樫さんは秋頃、輪島に戻る予定ですが、それまで週に1回、定時制インテリア科で外部講師を務めることになりました。秋からは輪島での新生活が始まります。今後の活躍を期待しています。すばらしい漆芸家に成長し、同窓会にも良い知らせを届けてくれることでしょう。

取材執筆 杉原由美子(1992年・D卒)

※令和6年能登半島地震 「お見舞金」募集は期限を7月末まで延長いたします。