同窓生インタビュー-5 国家資格受験体験記・後半 一級建築士
工芸高校在学中から使用してきた木製の製図板とT定規で二級建築士試験に挑んで合格した江口裕子さん。その後、江口さんは一級建築士の受験に挑戦しますが、スランプに陥り試験直前まで一本も線を引けなくなってしまいました。いったいどのようにしてスランプを脱したのでしょうか……。
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- 語り手(右):
- 江口裕子(旧姓・杉原 1998年・F卒)一級建築士
- 聞き手(左):
- 杉原由美子(1992年・D卒)アニメーション監督、脚本家、歌舞伎解説者
学びたいのは建築のこと。試験の攻略法ではない!
杉原:二級試験は木造の戸建てですが一級は?
江口:鉄筋コンクリート造の建物です。私の場合は、当時一級建築士試験を受けるため、二級建築士の資格を取得した後4年以上の実務経験が必要でした。
※現在は法改正により受験資格が変更されています
杉原:一級には一回では合格せず何度も挑戦されましたよね。今度は学校に通ったんですか?
江口:それが一級建築士の資格学校の学費は二級よりも更に高額で、やはり独学で挑むことに決めました。というより、自分は建築のことを学びたいので、試験に受かるための攻略法には興味がありません。そのために高額な費用を支払うのはどうしてもイヤでした。
杉原:なるほど。意思が硬い。
江口:学科試験は試験後に自己採点をして、合格発表前に合否の結果を判断します。合格している可能性が高ければ、製図試験の準備をしますが、はじめの2年は自己採点の結果、あきらかに不合格だとわかりました。でも3年目は判別できず、落ちているかもしれないけど、もしかしたら受かっている可能性もあった。
杉原:際どいライン!
江口:もし合格していれば、製図試験を受けられるので、念のため数ヶ月後の試験に供えて製図の勉強を始めました。結果、学科は合格だったので実技試験を受けられることになりました。
杉原:やはりT定規で挑んだのでしょうか?
江口: 1年目はT定規で、独学で臨みましたが不合格でした。これ以上、独学では太刀打ちできないと判断して、2年目からは学校に通うことにしました。
杉原:あんなに学費を払うことを拒んでいたのに。
江口:一般社団法人全日本建築士会の建築士講座に通うことにしました。比較的授業料が低価格です。週に一度そこに通いましたが、残念ながら2年目の受験も不合格でした。ちなみに学科試験に一度合格すると、製図試験は3年間受けるチャンスがあります。
杉原:次の年がラストチャンスということですね。
江口:はい。3年目はラストチャンスです。ここで落ちるとまた振出しに戻り、学科試験から受ける必要があります。3年目も同じ学校に通いました。教えてくださった先生も同じ方でした。ところがひどいスランプに陥ってしまい、途中から課題は毎回白紙提出。何にも描けなくなってしまったんです。家に帰ってから「どうして描けないんだ!」と泣きました。
熱血先生の最後の授業「過去問を徹底分析せよ!」
江口:受験直前の模試も白紙提出でした。結局、学校では何にもかけなかった。
杉原:でもその後、ちゃんと合格するじゃないですか。どうやってスランプを抜けたのですか?
江口:学校の先生は始めはお一人で指導されていました。穏やかな先生で毎回丁寧に教えていただきました。その先生のおかげで学校嫌いは緩和されましたが、途中からもう一人先生が加わって、その人がすごい熱血漢だった。
杉原:裕子さんが苦手なタイプ(笑)。
江口:その先生が、最後の授業で、ラストメッセージとして「とにかく過去問をよく見ろ、徹底的に分析しろ!」と熱弁をふるったんです。ここまで熱心に言うのだから、とにかくそのとおりにしてみようと思い、手当たり次第に過去問の解答例を取り寄せて分析してみた。そうしたら、ある事に気が付きました。
杉原:お、それはどんな?
江口:製図試験はゾーニングが重要になりますが、すべての過去門の解答例は2パターンありました。大筋のゾーニングが必ず2パターンなので、最初にどちらにするかを決めて、自分が決めたパターンの方向に突き進めば良い、というそれだけの事です。
杉原:なるほど、それで二級の時みたいに後はひたすら制限時間まで手を止めずにかき続ける!
江口:学校で教えてくれていたはずですが、その事に気が付くのに時間がかかりました。それから、過去数年間で勾配屋根(三角屋根)を取り入れた問題が出ていなかったので、今年は勾配屋根が来るのでは? とヤマをかけて準備をしておいたらそれがズバリ的中した。
杉原:それはすごい。その問題をみたときは「きたー!」と思いました?
江口:意外と冷静に「やっぱりな」と思いました。あれほどスランプでかけなかったのに、本番ではかけるはずだという気がしていたのも不思議です。試験として攻略するのではなく、時間がかかっても理解しながら建築を勉強する、という心構えで試験に臨んでいた事が良かったのではないかと思っています。というわけで製図試験に3回目でようやく合格しました。既に34才でした。
大卒ではないコンプレックスに勝る工芸で学んだ「誇り」
江口:私たちはいわゆるロスジェネと言われる世代なので、工芸を卒業したころは就職氷河期で求人はほとんど無いに等しく、四年制大学に進学できる人も、クラスの中でとても優秀な数名だけでした。建築業界で四年制大学を卒業していないという学歴は珍しく、今でもコンプレックスです。その反骨精神から独学で試験を受けた側面もあります。
杉原:ネガティブな感情を受験へのモチベーションに変えたのですね。
江口:中学生の頃、高校受験を控える中で「建築士になりたいなら大学へ行った方が良い、大学へ進学するには普通高校へ行った方が良い」と周囲の大人や塾の講師に言われました。でも、その忠告を聞かずに工芸高校を目指しました。社会人になってからも、正社員の仕事につけず、転職を繰り返していた時期もありました。進学校ではない工芸高校を選択したのが間違っていたのではないかと悩みました。大学へ進学できない事も就職できない事も、全て自分の能力が不足しているからだと思っていた頃もありましたが、一級建築士の資格を取得し、個人事業主となってようやく自分の裁量で、自由に働けるようになりました。
杉原:工芸で学んだことは、今どのように役立っていますか?
江口: 15才から線を引き(早生まれ)、パースを習い、図面を描いて習得した技術が、自分の体にしみ込んでいることを実感しています。仕事をしながら、高校生の自分が今の自分を手助けしてくれるように感じます。
生活になじみ長く暮らせる家を建てたい
杉原:現在はどのようなお仕事をされているのでしょうか?
江口:大手の工務店からの委託を受けて、お客様と一から打ち合わせをして、基本設計から実施設計までを担当し、完成まで見届けています。ゆくゆくは直接依頼を受けて住宅設計をしたいと考えていますが、まだ遠い道のりです。
杉原:建築の仕事で難しいことはなんでしょうか?
江口:建築というのはとても難易度の高い仕事だと思います。取引される金額も大きいし、大きなハプニングが起こる事も多く、対応する必要がでてきます。それになんというか「敷地は怖い」と思うんです。
杉原:敷地? 土地ですか? 家を建てる時は地鎮祭をやりますもんね。
江口:スピリチュアルな意味では無く、土地や建物など大きなものに関わる度に「舐めてかかってはいけない」と思わされます。謙虚に、しかし恐れてばかりもいられないので、元気よく楽しく取り組むように心がけています。
杉原:コミュニケーション能力も必要そうですね。
江口:自分にとって苦手なところですが、大分身についてきました。家づくりはその人にとって一大事ですよね。ああしたい、こうしたい、という思いも強い。現在はSNSなどでたくさんの写真が手軽に見られるため、参考になる情報も多いと感じます。でも、依頼者の願いをすべて聞いていたら、目隠しをして作った福笑いのように目と鼻がバラバラの家になってしまいます。おかしな要望であれば、はっきりとそのことを伝えて道筋を作る必要もあります。それから、私はデザイン的に見栄えの良い派手な設計は苦手です。
杉原:では地味な、シンプルな家になるのでしょうか。
江口:特に目立つことはないけれど、誰もが住みやすいと感じる、生活になじみ長く暮らせる家、そんな家を建てたいと思っています。言葉で言うのは簡単ですが、実際にはとても難しい事だと思いますので、そのためにこれからも鍛錬していくつもりです。
杉原:私たちの世代が社会人になった頃は就職難に加えて男女格差も今より大きかった。一級建築士の男女比率は未だに大きな開きがあります。裕子さんの体験がこれから建築士を目指したい女性たちにも参考になるとよいと思います。お話を聞かせていただきありがとうございました。
最後に、江口さんがご自身の設計で自宅をリフォームしたときの写真と図面を見せていただきました。図面も許可をいただき、添付しますのでご関心のある方はぜひ設計図もご覧ください。
江口邸リフォーム工事 実施設計図一式(PDFファイル:2.25MB)
江口裕子建築設計事務所
yukomusi0226@gmail.com
090-3089-9475