連載-14 もっと知りたい都立工芸の歩み「寝耳に水の移転問題に反対請願」
多摩ニュータウン移転問題
1969年(昭和44)から8年間ほどくすぶり続けたのが「多摩ニュータウン移転問題」であった。これは都教育庁が都立高校の定時制の1校集中化を図る中で、その場所を水道橋の本校地に求めたことから生じた。
移転には様々な問題が付随し、早急に結論を出すことは極めて難しいと思われた。職員会議では、移転賛成が反対保留を上まわる時期もあった。築地工芸会(都立工芸同窓会)は「工業高専または工業短大への昇格を前提にすべきで、現制度での移転には反対」とした。都の案は第一に本校の生徒の通学圏を無視し、各科の分散設置とか、本校の実態を無視した「解体論」に近いむちゃなものであった。
専門学科の教員で構成する「工業部会」では約2年かけて審議を続けた結果、移転に反対が 絶対多数という結論に落ち着いた。
築地工芸会(都立工芸同窓会)は移転反対の3,000名近い署名を集めて、請願書を都議会厚生文教委員会に、陳情書を都知事に提出し、受理された。その後も学校長は移転反対の請願・陳情継続手続きを取った。移転は中止され、これによって高層校舎新築案が浮上してくる。
※このコラムは「工芸学校80年史」「都立工芸100年の歩み」から文章と画像を引用して再構成しています。