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連載-13 もっと知りたい都立工芸の歩み「70年大阪万博 修学旅行」

 1970年(昭和45)は日本万国博覧(EXPO'70)が開催された年として多くの国民に記憶されている。テーマは「人類の進歩と調和」で3月から半年間、大阪の千里丘陵を会場として開催された。その間訪れた入場者は6421万人 […]

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連載-12 もっと知りたい都立工芸の歩み「旧松平邸の面影残す池と金毘羅様」

松平奨学賞メダル 松平氏より敷地購入 工芸学校が震災後移った水道橋の現在地は、旧讃岐藩・松平頼寿氏の邸跡であった(建物は焼失していた)。東京府議会で賛同を得て、宇佐美勝夫府知事をはじめ関係者の尽力により、松平伯との敷地売 […]

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連載-11 もっと知りたい都立工芸の歩み「意匠が凝らされた校舎内部」

 1927年(昭和2)8月31日に竣工した新校舎は、耐震耐火の鉄筋コンクリート3階建て。芸術的にも工学的にも時代の先端を行くものをめざした。  鉄製の正門を入り、車寄せをもった正面玄関を入ると、大理石が床と壁の腰高(1. […]

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連載‐10 もっと知りたい都立工芸の歩み

水道橋校舎完成記念絵はがき 「新校舎は時代の先端をめざした」  水道橋で仮校舎の授業が始まって1年経った1926年(大正15)8月15日、新校舎本建築の工事が始まった。既に東京市電は開通していて、水道橋はその交差点になっ […]

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連載-9 もっと知りたい都立工芸の歩み

全焼した校舎(大正13年記念写真帳) 1923年(大正12)9月1日 関東大震災が発生。築地校舎は倒壊をまぬがれたが、夜半には銀座築地方面に火の手が回り、校舎も全焼。レンガの壁だけが残った。 学校存亡の危機 校舎の復興に […]

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連載-8 もっと知りたい都立工芸の歩み

復興の新校舎で熱を込めた授業 復活運動会が各科シンボルカラーの始まり 関東大震災で築地の工芸学校校舎も全焼した。1925年(大正14)8月末、築地の仮校舎から水道橋の仮校舎に移転が始まる。1926年(大正15)8月15日 […]

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連載-7 もっと知りたい都立工芸の歩み

都立工芸高校は1907年(明治40)に誕生し 開校記念日の5月10日で「116歳」 同窓会 同窓会の活動は、1928年(昭和3)発行の『IA』19号(※1)に「昭和2年度築地工芸会議事」と題した記事はあるが、その後の記録 […]

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連載-6 もっと知りたい都立工芸の歩み

アメリカの工業教育に示唆を得て工芸学校の礎を築いた今景彦初代校長 ・写真左 今景彦初代校長 ・写真右 創立当時の築地校舎 アメリカの職業教育を視察 今景彦は東京高等工業学校(現東京工業大学)出身、岩手県立実業学校(現県立 […]

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連載-5 もっと知りたい都立工芸の歩み

大海原に昇る朝日に希望を込めた創設の高き志を100年伝えるシンボル(校章・校訓) 校章 校章は初代校長の今景彦先生がデザインした。 本校設立のための準備としてアメリカに視察へ。 帰途サンフランシスコから乗船された時のこと […]

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連載-4 もっと知りたい都立工芸の歩み

大海原に昇る朝日に希望を込めた創設の高き志を100年伝えるシンボル (校歌) 校歌は2度の変遷を経て現在の歌詞と曲になった。第一の校歌は創立時かあるいは間もなく作られた「甍の並ぶ東京の、橋万年の・・・・・工芸学校ここにあ […]

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